炭鉱時代の記憶

Flash版 | 夕張探訪記
朽ちてゆく建造物、夕張が最も繁栄した時代の記憶である。
人々は炭鉱を目指してこの地を訪れ、そして街が生まれた。
街は炭鉱と共に栄え、人々の活気に満ちあふれてゆく。
やがて閉山、残された建造物が時代の記憶として眠り始めた。
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国のエネルギー政策を支えた炭鉱時代、今も残る当時の遺産を探訪する。
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北炭(北海道炭礦汽船)が社運を掛けた北炭夕張新炭鉱
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1981年10月16日発生のガス突出事故は大惨事に。慰霊碑には今も多くの花が供えられていた。
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坑内に夕張川から注水し、約4ヶ月間を費やして鎮火した。夕張川の左岸にはズリ山が見える。
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かつて炭鉱で栄えた真谷地、北炭建設の朽ちた建物が残されていた。(後に解体)
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建物の裏手はズリ山だろうか、既に草木が生い茂っている。
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木々に覆われた大きな建物が見える。北炭真谷地炭鉱事務所跡のようだ。(後に解体)
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北炭真谷地炭鉱は1987年に閉山、残された建造物は年と共に自然に埋もれて行く。
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大正初期のレンガ建築、北炭楓鉱発電所跡
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ガラス工房として改築されたようだが、今はもう使われていない。
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北炭の自家発電設備として1925年に建設された滝の上発電所
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窓には今も北炭の印が残されている。
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北炭清水沢火力発電所跡、当時は火力発電所として国内有数の規模を誇った。
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隣接する清水沢ダム、水力発電の他に火力発電所への冷却水導入の目的を担い建設された。
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清水沢火力発電所は解体作業が進められており、徐々にその姿を消す運命にある。
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1987年に廃止された三菱大夕張鉄道、南大夕張駅跡
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三菱大夕張鉄道保存会により修復された車両が展示されている。
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古き良き時代を感じさせる客車
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イベントで特別展示された三菱(鉱)バス車両
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三菱(鉱)バス保存会の手により残された貴重な車両である。
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子供の頃を思い出させる懐かしい雰囲気の車内
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シューパロ湖に残る三弦橋、1963年に廃止された下夕張森林鉄道線夕張岳線の鉄道橋だ。
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北炭化成工業所跡、高さ63メートルものコークス炉の大煙突がシンボルとして残されている。
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コークス炉の大煙突とズリ山
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鹿の谷に残る北炭北海道支店石炭分析室跡
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鹿の谷地区は北炭社員の高級住宅街として栄えた。
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北炭社員の教徒が運営に携わった日本聖公会夕張教会堂、映画「塩狩峠」のロケに使用された。
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北炭幹部社員の迎賓館として使われた鹿ノ谷倶楽部(現在の夕張鹿鳴館)
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夕張炭鉱総合ボイラー煙突(石炭の歴史村駐車場)、煙突の向こう側にはズリ山が広がっている。
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2009年の夏からは、花畑牧場の広告塔として使用されている
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高松ズリ捨線跡、1949年からベルトコンベアーで不要な土砂がズリ山へと運ばれた。
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間近で見るズリ山、年月と共に草木に覆われてゆく。
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高松跨線橋(石炭の歴史村)、1936年に炭住と坑口浴場を結ぶ人道橋として架けられた。
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1944年(戦時中)に石炭増産を奨励する目的で作られた採炭救国坑夫の像(石炭の歴史村)
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天竜坑(石炭の歴史村)、1900年から1938年発生の惨事まで採掘された坑口跡
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実際の坑道を今に伝える史跡夕張鉱(石炭の歴史村)、大正時代のレンガ巻が保存されている。
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1888年に発見された石炭の大露頭(石炭の歴史村)、この発見が炭鉱時代の幕開けにつながった。